今年の音楽の主人公と偉大なる演奏家たち

山形大学工学部助教授
工学博士 松尾徳朗

 モーツァルト生誕250年という言葉も、もうそろそろ使われなくなってくるが、実は2006年はシューマンの没後150年の年でもある。シューマンは、ピアニストとしての才を十分に発揮できず、作曲をメインに手がけるようになった。その原因になったのは皮肉にも同世代に生きたショパンの練習曲を練習したからである。ショパンの練習曲(作品10)の第2番に3・4・5の指で半音階を奏でる非常に難度の高い曲があるが、その曲を制覇すべくシューマンは指の訓練をしていた。そのときに指を痛めてピアニストとして第一線で活躍できなくなったと言われている。シューマンに他に活躍しているピアニストに恨みの矢を向けたのか、あるいは演奏家としての志を持っているにもかかわらず演奏家としてではない形で音楽の世界に生きざるえないものの苦悩を持ったのか知る余地はないが、彼の作品の多くはピアニスト泣かせである。代表作の謝肉祭(作品9)にしても、交響的練習曲にしても、それを完璧に仕上げるには相当な努力が必要である。シューマンの曲は、いつも恋愛と挑戦の中に美を置き、それは少なくとも同世代を生きたショパンやシューベルトを意識して作られたことは一目瞭然である。奏でられた音楽は、優美さと力強さが交互し、そのなかでショパンやシューベルトへの挑戦状が垣間見える。そもそも、シューベルトのごとく時にベートーヴェンよりも古典的な曲を作曲する事にはシューマンは同意していないであろう。しかし、そのシューマンもシューベルトのピアノソナタ(作品894)などを絶賛しているし、交響曲などにおいては強い影響を受けた事は否定できない。シューベルトが与えた情緒的な旋律やショパンの天才的な芸術作品と、周囲の様々な妨害を受けながらシューマンのロマンティックな恋に理想を燃やす人生こそが、シューマンにロマン派としての音楽を与えたに違いない。
 評論家の小林秀雄(作曲家のほうではない)はかつて、題名の付かない曲が、あるときに誰かの気まぐれで評されたことがその曲の内容を決定づけると述べている。このような場合、聴き手は第三者によって付けられた題名により解釈にも感動の覚え方にも、観念的な意味で制約と依存を与える。あるいは、演奏家がそれを拠り所にしたとしたら、作曲家の意図に反してしまうとも考えられる。もちろん、それが悪いという訳ではないが、例えば、ショパンの「雨だれ」は、ショパンの恋人であったサンドが日記に記していたショパンの「雨だれ」と実際の雨だれ音の協和についての一文である。しかしながら、単にショパンは和音を演奏しつつそこで使ってない指を訓練させるための曲として書いたのかも知れない、否、これは作曲家しか知り得ない事である。一方で、作曲家が自ら作品に題名を付ける事も珍しくない。ショパンは、全ての曲に題名を付けていないのに対して、シューマンはいろいろな題名を付けている。そして、それぞれが対応していたり、曲の中の一部に他の曲の一部が挿入されていたり、聴き手にシューマンが仕掛けた謎を解かせている。例えば、謝肉祭(作品9)においては、ほとんどの曲がA-Es-C-Hの動機が使われている。一説に拠れば、好意を抱いていた女性の生まれ故郷であるボヘミアのAschという地名から考えられたものであると言われる。この作品の6曲目には、パピオン(作品2)のテーマの一部が挿入されており、解釈に謎を深めている。シューマンはショパンを天才と賛美した一番はじめの人物であるが、謝肉祭(作品9)の終曲では天才ショパンさえも思いつかないだろうフレーズを持つダヴィッド同盟の行進曲とその壮麗さは音楽史上新しく発明されたものといっても過言ではないと思う。しかし、そうはいってもシューマンの楽譜上のごちゃごちゃした音符の並びと、芸術性の裏にある技巧的困難はまぎれもない事実である。それ自体が曲を有名にしているとはいえ、演奏機会を減らしている原因でもある。一方のモーツァルトは、ほとんどの曲が視覚的芸術であり、楽譜上において審美的判断を許そうとしない。言い換えれば、シューマンの音楽は無形文化財であり、楽譜上の音符の集合はその芸術性に関して目には訴えるが心までは届かない。一方、ショパンのプレリュード作品28−1やエチュード作品10や25の代表格に見られるような分散和音を主としたフレーズの集合体としての楽譜は美しいが、モーツァルトの楽譜はシンプルであり、有形の文化財であり、美的な模様である。それを考えれば、合理的芸術性というか、あれだけの少ない音符でそれ以上に中身の詰まった曲を聴き手に与えている気がする。
 モーツァルトの多くの作品は、ノクチュルヌと呼ばれるフレーズの集合体のみにより構成されていると解釈できる。モーツァルトの音楽の特徴は、弾き手にとってのフレーズの単純さを聴き手の退屈へ導かないことである。ショパンのマズルカに多用されている中間部からコーダに入る際の単旋律の演奏は、技巧的には取るに足らないものであるが、芸術的に響かせるには相当の美的感覚と指先の感覚が必要である。確かに、リディア調やドリア調といった工夫された旋律であるとはいえ、凡庸なピアニストの演奏では眠たくなるかもしれない。逆に言うと、ショパンが求めた音楽の神髄うちの一つはそこにあるのかもしれない。しかし、そのような旋律は弾く側の解釈に強い制限を与えているため、チャレンジングな試みは曲の全体をダメにしてしまうこともある。モーツァルトの場合、例を挙げれば有名なK.333のカデンツァで少しだけ単旋律が表れるが、次のフレーズの準備として在るのでどういう弾き方でもっても、聴き手はある種の緊張を持って聴けるのかもしれない。
 モーツァルトのソナタの演奏において有名なピアニストを挙げればきりがないが、バレンボイム、グルダ、エンドゥレス、ラローチャ、収録曲は少ないがモーツァルトのソナタがナンバーワンというホロヴィッツ、それに我が国が代表するピアニストの一人である内田などがいる。しばしば、モーツァルトのピアノ曲はその性質上ピアニストに新しい解釈を与えさせないと言われることがあるが、少なくともここに挙げたピアニストの演奏を並行して聴いてみると、その解釈の違いが明確に見える。エンドゥレスやラローチャは比較的無難な演奏をし、聴き手に安心感を与える。一方、ホロヴィッツは、しばしば独自の音楽観を持った解釈でモーツァルトを再現し、なんと協奏曲(作品488)においては、第三楽章のバイオリンとピアノがメロディ部において呼応を奏でる#G-#G-#G-#Gは#G-#G-#G-Aの間違いではないかと指摘した。楽譜にする時の誤植のケースを除き、もし天才モーツァルトが正しいとしたら、左手のE-D-#C-Aに対して不自然に聞こえてしまう。和音を中心に出版社ごとに誤植があったり、表記が大きく異なる事は珍しくない。例えば、国内で最も有名な楽譜の出版社が出しているショパンのポロネーズ第三番(作品40−1)においては、12小節目のCis音はD音とぶつかるため誤植であり、Dis音にすべきである事は間違いないであろう。しかしながら、モーツァルトの作品488に関しては、色々な版を確認する限りでは、おそらく弘法にも筆の誤りに違いあるまい。自ら作曲や編曲を精力的に手がけたホロヴィッツらしい指摘と思う。グルダは独自の演奏スタイルを生涯貫いている。例えば、少なからず批判的な意見もあるが、提示部の繰り返しにおいては、装飾音符を即興的にちりばめ、時に曲が驚くべきほどに華やかになって聴衆を飽きさせない。グルダは、彼が若い頃はダンパーペダルを一音一音踏みかえるほどの職人であったが、晩年はあまりそれが見られなくなった。しかしながら、代わりに即興性が増したり、曲の途中の休符の部分で観客にメッセージを送ったり、あるいはピアノ独奏の曲なのにピアノの音より大きな声で歌ったりするようになり、ある種の危険さが見て取れる。しかし、それに比例して音楽を観客だけではなく自分も十分に楽しみたいという姿は一目で理解できる。それが良いとも悪いとも言いたい訳ではない。しかし、クラシック音楽の楽譜を逸した解釈の一部と見て取れるとすれば、グルダは新しい音楽の解釈法を呈していると私は思う。グルダまでとはいかないが、ポゴレリチはロマン派中心に独創的な解釈を与えている一人である。特に印象的なのは、ショパンの協奏曲の第二番(作品21)の演奏である。ポゴレリチは他のピアニストとは解釈の仕方の点で異なるばかりか、レパートリーを増やす事に注力していない。それは、演奏するそれぞれの作品に対して完璧を追求する結果であり、作曲家たちが楽譜上においた音符の根拠や意図を探る作業に注力する結果でもある。それがポゴレリチの演奏に表れている。ポゴレリチは古典的な芸術作品を演奏する際には当時の演奏技法や姿勢を重んじている。そうすることがそのような芸術作品を通じて、今は亡き作曲家たちと彼が対話することができる唯一の方法であるからと考えているからかもしれない。そういう演奏家の努力によって、まるで2000年前の古代ギリシャの真・善・美が時代とともに異なる作用を与えつつもきっと今から2000年後も受け継がれるように、100年前に演奏された曲と同じものが、作曲家の意図を温めつつも新しい解釈でもって100年後にも演奏されるであろうクラシック音楽の発展を支えていると思う。